アニメ初心者が『やがて君になる』を見た
星4でした
詳しい感想は続きから↓
夏野だったっけ。
【目次】
あらすじ
人に恋する気持ちがわからず悩みを抱える小糸侑は、
中学卒業の時に仲の良い男子に告白された返事をできずにいた。
そんな折に出会った生徒会役員の七海燈子は、誰に告白されても相手のことを好きになれないという。
燈子に共感を覚えた侑は自分の悩みを打ち明けるが、逆に燈子から思わぬ言葉を告げられる──
「私、君のこと好きになりそう」
PVです
夏野的感想
告白の返事を保留にしている女の子が、告白をずばっと断る先輩を頼りたくなるという動線は◎。わりとまあ自然だと思いました。
主人公は恋愛小説やらラブソングの歌詞やらのキラキラに憧れるが、実際告白されたら全然ピンとこなくて、自分がおかしいのかなと悩みを吐露。それに対して先輩が共感を示し、アドバイスをすることで視聴者への説明になってるのはスマート。「先輩もおんなじような人生おくっとんやな~」と。
橙子はなぜ侑を好きになったか。
自分が特別視していた亡き姉を模倣することで、自分というものを確立していた橙子。
自分が知る姉を必死に真似している橙子は、今まで大勢から告白されるも、「こういうあなたが好き・・・ということは、そうでなくなったら好きじゃなくなるってことでしょ」なんて冷めた御様子。
そんななか、『誰も特別に思えない』と語る侑は魅力的に見えるわけですね。侑は橙子のことも特別視せず、好きにもならないということですので、失望もされないし、憧れの先輩を演じる必要もないわけですから。
橙子は幼い頃はお姉ちゃんにひっついてまわる甘えん坊でしたが、姉の死を受け、自分が姉の代わりを果たそうとします。橙子は自己肯定力がない女の子で、自分の事が嫌いだと打ち明ける場面もありましたね。
こんなセリフもあります。
橙子「“好き”は強い束縛の言葉」
好きと言われた方は、好きと言われた自分を演じて取り繕うとするわけで、それは束縛に等しいという考え方を持っています。
そして橙子は“好き”が束縛の言葉と知っておきながら、作中、侑に何度も「好き」といい続けます。つまり、誰も特別に思えないと語った侑(橙子のことも好きなんて言わない)を束縛しておくことで、甘えられる存在を確保し、自分の心の安寧を保とうとするわけですね。エゴです。
侑が「きっとどっちの先輩(みんなの憧れの先輩と、甘えたがりの弱い先輩)も好きになってくれる人だっていっぱいます」と伝えたとき
橙子は「そんなの死んでも言われたくない」と答えます。
別に本当の自分を知った上で好きになってほしいなんて求めてもないってことですね。
橙子の侑に対する“好き”は
「別にキスとかしてもそんなに嫌がりもしないし可愛いし甘えさせてくれるし、かといって私のこと好きとか言ったりもせずにただそこに居てくれる存在」だから好きなんですよ。モノローグでも「私のこと好きにならないで」なんて語っちゃってますしね。
侑の心情の変化
橙子「私は自分のこと嫌いだから、自分が嫌いなもののことを好きな人を好きになることはできない」
橙子は自分の事が嫌いなので、そんな橙子のことを好きなんて言う人は好きになれないってことですね。
それを受けて
「じゃあ先輩だって私が好きなもののこときらいっていわないでよ」とひとりごちる侑
ここでの好きなものってのはもちろん先輩のことですね。
上記のシーンは12話の一幕なんですが、1話からここに至るまでの侑の心情の変化をかなり雑に書くと
『最初は本当なんにも感じなかったけど、たった一人であこがれの先輩を演じる姿とか、過去とか知っちゃってだんだん気になってきちゃった』
です。
最初のうちは橙子をみて「一人だけ特別な感情(人を好きになる)を知ってずるい!」なんて思ってる侑も、徐々に先輩の行動にほだされて好きになっちゃうのかな~?な展開になっていくわけですね。
作品の演出的にも序盤は、『二人とも人を好きになれないのに、片方だけ先進んじゃってモヤモヤ』みたいな描かれ方をするんですが、先輩の過去(姉の死)が明かされたあたりから、どっちかというと何も感じない侑よりも、橙子のほうがやべえやつに感じてきます。
可愛そうな橙子パス
正直サイコっぽいところがある橙子
憧れのお姉ちゃんが亡くなり、必死にお姉ちゃんのような人間を演じようとするんですが、生徒会のOBに「お前姉と全然似てないな」なんて言われちゃいます。曰く、どちらかというと橙子の姉は生徒会のみんなに頼りまくったり宿題手伝わせたり、橙子が知るお姉ちゃん象とは真逆らしいです。妹の前では取り繕ってたんですかね。
それを知った橙子の気持ちを考えると流石に可哀想になってきます。誰もが憧れる七海橙子を、自分が思う姉の姿をトレースしながら演じてきたのに、実は全然違う人物像でしたってなるわけですから。今まで橙子がしてきたことは何だったのか、そしてこれからどうすてばいいのか全くわからなくなっちゃいますよね。
橙子は自分の心の癒やしのために侑を振り回したりいきなりキスしたり侑の部屋に招かれた際にベッドくんくんしたり体育倉庫に連れ込んでディープキスしたりやりたい放題なので正直「おいこいつ男子高校生か」なんて思いましたが、
ただ、それだけ欲望に忠実なのは、侑が自分を特別視しないとわかっているからなんですね。失望も恋慕もされないわけですし、演じることなく、侑のほうが年下ですがお姉ちゃんのように甘えられるわけです。
でも侑に好きになってほしくはない!!!うーん難しいですね。
橙子が自分を好きになれればいいんですけどね。そうなれば「自分の嫌いなものを好きな人は好きになれない」理論は崩れるわけですし。
アニメでは最後まで描かれない
この記事を書いている2019年6月現在でも、原作マンガは完結していません。
なのでアニメを最後まで視聴しても物語の最後まで知ることはできません!残念!
超ざっくりいうと『キャッキャウフフな百合かと思いきや機微を感じとって咀嚼する系のアニメだったぞ!』です。
『私のことなんて好きにならなくていいからただそこに居てくれ』と思う橙子と
『一人ぼっちで強がってる橙子をみてたらどんどん気持ちに変化がでてきた』侑の恋愛なわけですが、正直橙子から侑への気持ちは少々歪んでますよね。
自己肯定できない橙子は別に好きになってもらうことなんて望んでないわけですから。
しかし侑は、『自分自身を変えたい』と思うと同時に『橙子のことも変えたい』と考え始めます。どっちの橙子も肯定したいというよりかは、私の前でみせる橙子の姿を肯定してあげて、ちゃんとそれを好きになってあげて、かつ橙子自身も自分を肯定できるようにしてあげたい。みたいな感じでしょうか。かなり難しいとは思いますが、作中で何度か出てくる第三者から侑への評価は『やり始めたらトコトンやる系女子』なわけです。漫画でもトコトンやるんですかね・・・こればっかりは完結してみないとなんとも言えない・・・。
【演出面の良いところ】
良かった演出はいっぱいありますが、いくつか挙げるとしたら
2話、カフェで応援演説の原稿を渡すシーン。
これは明らかに意図的に先輩の顔をしばらく写しませんよね。観葉植物で隠したりしてますしそして「付き合ってなんていわないから」のところで初めて横顔がうつります。その後窓際に座る橙子の背後から夕暮れの光が指し、まるで後光のようなライティングできらめきます。遠くにってしまった感の演出ですね。
河川敷での会話シーン
侑が「無理に演劇やる必要はないのではないか」的なことを橙子にいうシーンですが、ここで川から上部だけ飛び出してる岩場(?)をひょうひょいと掛けていって橙子が向こう側まで行こうとしますね。これは映像の演出手法としてはよくあるパターンですね。手の届かない場所まで言ってしまう感ってやつです。特別珍しい演出ではないですが『やってくれたら嬉しい』タイプの演出ですね。
セリフでも橙子は「侑が演劇やらないっていっても、姉のやりのこしたことだし最後までやる」的なことをいいながら離れていきます。
侑は「自分が止めれば言うこと聴くだろう」なんて高をくくっていたので絶望してしまいます。慌てて取り繕うように
「私は先輩のこと好きにはならない。これからもずっと」的なことを言ってしまいます。
そこまで言ってやっと橙子は振り向いてくれるわけです。別に橙子は変わることなんて望んでないんですね~本当の自分を好きになってほしいなんて微塵も思ってないってことです。
ものを食べるとき「はーぁぅん」って言わない
これは好みの問題でしょうが、深夜アニメによくある食べ物を食べるシーンでの“はーぁぅん”や、“過剰なモグモグ感”が苦手な私としては関心しました。
モノを口に運ぶシーンって別に声いらないですし、なくても全然違和感なかったです。
無言の演技、通称『ちっちゃい“ツ”』に関しては必要になる場面はあると思うので気になりませんが、よくあるアニメの食事シーンには疑問を感じていたので、この作品のおかげで「やっぱり、“はぁぁううん“」はなくてもいいじゃないか!と確信できました。ありがとう。
他にも
橙子→侑→橙子の関節キスの瞬間、侑が目線をそらしていたり、恋愛傍観大好き男子生徒が、橙子と佐伯(橙子LOVE)の会話を聞きながらさりげなく資料のプリントで口元を隠したり(多分表情変えずに笑いをこらえてる)
侑が嘘をつく時の視線が細かい動き(右上→左上)をしていたり・・・
映像手法的な演出が細かい感じはしました。映画好きな人は多分馴染みがある演出が多いですが、私が今まで見た深夜アニメ90作品ではあまり見られなかったので、『ちゃんとやってくれるんやね』なんて思いながら見てました。
『青春モノの例のシーン』がある
このブログでは色づく世界の明日からの記事でも出てきましたね。
『人命や世界の存亡に関わるほどのシリアスさは無いが特定の人物にとっては特別な意味を持ったものを目標として登場人物たちが走り出す。そして笑う』
ってやつです。
やがて君になるでは亜種でしたけどね。笑いはしませんし。でも2回出てきます。
1回目は体育祭です。侑はそこで橙子の走る姿みてぽーっとなりますね。
2回目は侑が演劇の台本を直してもらいにこよみの家に向かう時ですね。
ここで重要なのは、物語の本筋に直接関係しすぎない場面で使われることです。体育祭のときなんてのはちょっとコメディチックにもなってたけども、それでOK。
2回目は重要シーンっちゃ重要だけど、『走ったことによって何かが解決するわけではない』ってのがキモです。物語をすすめるためにはこよみと原稿を再考することが重要なので、走るか走らないかの選択で大きく物語の結果が左右されるわけではないですし。
【逆に気になった点】
POV(主観視点)の使い方
ですね。一部意味不明というか、意図不明な使われ方をしていました。
2話でしたかね?橙子が侑に突然キスをするんですが、そのシークエンスに入るとき、橙子のPOVから始まってしまうんです。これは正直“アレ”じゃないですか?
この時点で橙子はまだまだ謎多きキャラクターで、バックストーリーも語られていませんでした
更にいきなりキスするなんてぶっちゃけぶっ飛んでる暴走行為ですよね?
主観映像はホラーやサスペンスでよく使われますが、登場人物への感情移入を促すための手法でもあります。侑も橙子を表するとき、この人何考えてるんだか・・・なんて言葉を使いますし、橙子の主観からシークエンスに突入するのはダメなのでは・・・?なんて思いました。映像のプロの方の見解が聞きたいですが、これを作ったのも映像のプロなわけで・・・好みの問題でしょうか。
他にも
橙子は合宿場での雑魚寝のとき「小さい電気つける派」といっていましたが
その前のエピソードで夜中夢にうなされて起きたときに小さい電気ついてなかったです。
『うそやん!何かわい子ぶってんねん!』と思いましたが単純にミスだと思います。
合宿中布団を並べて寝ますが
「手を伸ばせば届く距離」なんて詩的にいいますけど全然届かない距離に布団が敷いてありました。
まあこれは詩的表現ですし、「寝ているという状況では普段隣に誰も居ない」という前提の上で、普段とは違う夜にドギマギしているという表現なのでそこまで気にはならなかったけどもうちょっと布団近づけて!なんて思いました。
でも気になる点がこれくらいって実はすごい。演出面にかなり気を使ってるのが感じ取れました。
【結局どうなの】
序盤の橙子の描かれ方は『恋に興味津々の盛った男子高校生』並に欲望まみれですが、それが中盤以降毛色が変わっていくのが良かったです。
「先輩にほだされて最終的にはイチャイチャウフフになるアニメね」なんて見方をしてるとうまく騙されます。
おそらくそのツイストのために、最初の頃の橙子は、ぶっちゃけ滑稽に見えるほど侑にベタベタで夢中な描かれ方を意図的にされているわけですね。
実際私も「橙子いきなりなんなんぶっ飛びすぎだろ」なんて思いながら鑑賞してたわけですが、途中からいい意味で雲行きが怪しくなったので身構え直して最後まで見ることができました。