夏野の暇つぶ執筆

深夜アニメ初心者の夏野が暇つぶしがてらに視聴日記を書く。

【感想】『色づく世界の明日から』を見ました

星3でした

     

 

詳しい感想は続きから↓

 

 

夏野です。

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あらすじ

物語の始まりは数⼗後の⻑崎。⽇常の中に⼩さな魔法が残るちょっと不思議な世界。主⼈公の⽉白瞳美は17歳。魔法使い⼀族の末裔。幼い頃に⾊覚を失い、感情の乏しい⼦になった。そんな瞳美の将来を憂えた⼤魔法使いの祖⺟・⽉白琥珀は魔法で瞳美を2018年へ送り出す。突然、⾒知らぬ場所に現れとまどう瞳美の視界に鮮烈な⾊彩が⾶び込んでくる…。

(『色づく世界の明日から』公式サイトより)

 

夏野的感想

この作品、まあPVを見ていただいたらわかります通りルックが非常にゴージャスですよね。

アニメ初心者の夏野なりに、良い点と気になる点をあげていきます。

 

【良い点】

  • 絵がキレイ
  • 美麗な音楽
  • 文化のすれ違いによるコメディ要素(俗にカルチャーギャップコメディとも)が適度に散りばめられている

良い点の中でも特に3番目の『カルチャーギャップコメディ』は重要です。時代を超えるタイムスリップものには、絶対に入れなければいけません。絶対です。

有名な映画ですと『バック・トゥ・ザ・フューチャー』シリーズなんかはその典型例で、過去に行っても未来にいっても、マーティは文化の違いに戸惑い、そこにコメディ要素が付随していますよね。

『色づく世界の明日から』でも少なすぎずやりすぎず、適度に取り入れられてるの“その点は”とても良かったと思います。2078年から2018年に飛んできた瞳美は、60年間の文明の距離感に戸惑い、そこについ笑ってしまう要素が含まれています。

 

 

以下、他にも良いと思った点を詳しく書いていきます。

 

 

窓を開ける方法がわからない。

窓を開けようとして、鍵の操作がわからずかなり手間取ります。そしてこのシーンの素晴らしいところは、わざとらしすぎないところです。実際に鍵の操作に取り掛かる直前に、サッシの部分をポンポンと叩いたり、手を降ったりします。このシーンが1話の序盤で出てくるので「未来では現代のような鍵はなく、ジェスチャーで開けるんだ」ということがわかります。

 

学校の机に向かってジェスチャー

高校に編入した瞳美ですが、自己紹介を終えて自分の席に座ると、まず机の天板を叩いたり手を降ったりします。2078年では窓と同じように、机もジェスチャーでの操作が当たり前になっていて、かつタッチディスプレイになっているんでしょうね。

 

自動販売機の使い方がわからない

もう60年後から来たことを部活の皆に告げた後ですかね。1000円札を握りしめて「何事にも挑戦」と自販機で飲み物を買おうとする瞳美。しかしそもそも札を入れる場所がわからず挫折。そこに部活の先輩が通りかかり使い方を教えてもらいます。

ただこのシーンは正直、外国人にもわかるようにシンボリックなアイコンが書いてある日本の自販機事情的には、1000円札を入れる場所がわからない瞳美はちょっとアホなのでは・・・?と思ってしまう感じがありました。が、1話の時点で時空の狭間のバスの搭乗口にて『リーダー』がなく現金での支払いオンリーという事実に困っていたので、そもそも現金を使ったことないんでしょうね。

 

夏野案

なんとか札を入れる場所を見つけたが、気合をいれて1000円札を握っていたために自販機に認識されずに戻ってきてしまうというシーンを入れてくれたら最高でした。つまり、2018年に対して親近感がある我々現代人にとっての『あるある』は、2078年を生きる瞳美にとってはさらなるパニックを引き起こしてしまう構造になるわけです。そのシーンがあれば私達は「あるある」と思いながらも、「確かに60年後の人にとったら意味分かんないよなあ」と笑えたような気がします。

 

 

他にも、『絆創膏に馴染みがない』『なぜこんな重いもの(教科書類が入ったバッグ)を持って登校しなくてはならないのかと嘆く』『昔のオフリー(飲むヨーグルト)を飲んで感動する』『ポポッキーが2018年にもあることに感動する』

少し話がずれますが特にポポッキーは・・・まあポッキーなんですけど、「未熟な魔法使いは力をきちんとコントロールするために道具を使ってもいい」という設定のもと、ポポッキーを魔法の杖代わりにして魔法の練習するシーンがすばらしかったです。

というのも、ハリーポッターのように杖自体の由来も特別だったり、世界観自体の作り込みで、魔法という存在の説得力を増すような作りになっていますが、色づく世界の明日からでは魔法はもっと身近なもので、魔力を持たない人が簡単な魔法を行使するための『星砂』づくりを、普通にキッチンのフライパンで行っていたりと、割と普遍的なものだという描かれ方をしている今作において、ポポッキーのシーンはとても良く機能していると思います。

 

“青春モノに必須なシーン”を入れてある

まず私が考える“青春モノに必須なシーン”とは何かということですが、それは

 

『人命や世界の存亡に関わるほどのシリアスさは無いが特定の人物にとっては特別な意味を持ったものを目標として登場人物たちが走り出す。そして笑う』

 

です。

 

これの大事な点は、人が死ぬとかのシリアスなシーンは除くということです。

『色づく世界の明日から』では、写真美術部(瞳美も入部したよ)の合宿にて一年生の千草くんが「船を撮りたい」といいます。

夜景をバックに船を撮りたいらしい。部員皆で重い機材を持って橋へと向かいますが、なんと!予定より早く船が橋の下を通ろうとしているではないですか

「走ろう」なんて言い出す千草、それに対して「荷物があるから無理だよ」と返す部員。そして

 

「そんなもんおいてけーー!!!」

荷物を投げ捨て走る千草。流れ出すピアノ。そして部員も追いかける。

 

合宿中ちょっとギクシャクしていた千草くんと胡桃。その二人が全力疾走しながら会話してなんだかいい雰囲気。

最終的に船をドンピシャで撮れるタイミングを逃してしまう写真美術部。そして息切れの中で笑い始める瞳美。

 

ぶっちゃけ見ている方は笑ってしまいます。いい意味でですよ。

 

例えばですが、男女二人が雨の中向かい合って、男が愛を伝えた後女性を抱きしめたとします。投げ出されて足元に転がる傘・・・そして久保田利伸さんのLA・LA・LA・LOVE SONGが流れ始めたら笑っちゃいませんか?いい意味でですよ。合いすぎてて笑ってしまうというか、ベタ故にちょっと滑稽に見えてしまう。

 

ただ青春モノにはこの『走って笑う』ってのは必須シーンと言っても過言ではないと思います。いや絶対必要です。最悪笑わなくてもまあ許します。

宇宙よりも遠い場所』でも新宿走ってましたよね。あれは走りながら笑ってましたが。まさに

『人命や世界の存亡に関わるほどのシリアスさは無いが特定の人物にとっては特別な意味を持ったものを目標として登場人物たちが走り出す。そして笑う』

ですよね。

しらせちゃんにとっては南極調査隊の先輩方にバレたくなかったので必死でしたが、他のキャラクターにとってはそこまで深刻さが伝わってません。でもしらせちゃんの一言につられて走り出します。しかも笑うし。いい音楽流れるし。素晴らしかったですね。

こういうシーンが入っているだけで青春モノとしては2億点です。

 

『色づく世界の明日から』におけるこのシーンの必要性はおいておいて

私にとっては必須シーンなので、滑稽さと見てる方の恥ずかしさも含めて大満足シーンでした。

 

話が平坦なのは意図的

ちょっとおまけ的ですが、「話が平坦で起伏がない」みたいなレヴューを書かれている方がいました。が、私としては

『平坦なストーリー展開はあきらかに意図的』だと思います。

そもそも設定の時点で、魔法が息づいている世界、そして色覚がない女ん子が主人公、さらに60年の時をこえて過去に飛ぶと色々詰め込まれていますよね。

そんな現実味のない女の子が、私たち現代人に馴染みがある『青春モノでありがちな日々』を送ることに意味があると思います。

その青春がありがちであればあるほど「でもこの女の子には色が見えてないんだよなあ」であるとか「いずれ帰らないといけないんだよなあ」という部分が際立ってみえてきて、より瞳美がかわいそうに思えて同情できるという構造になっていると思います。

なので、この作品では『平坦な青春』『平坦なストーリー』であることに意味があると思います。

 

 

ここまで結構褒めましたが、以下気になった点です。結構長くなるかもしれません。

 

 

【気になった点】

あんまり帰ろうとしない

序盤から、突然のタイムスリップに戸惑う瞳美ですが、必死に帰ろうとする素振りはみせません。「なんのためにここにきたのか・・・」と半ばあきらめぎみに嘆きますが、なにか模索して元の時代に戻ろうとはしません。が、『瞳美の性格を描くためのあえての演出』として捉えることもできます。

というのも瞳美は、2078年に居るとき友達が居ないように描かれています。花火大会にもおばあちゃんと行くぐらいです。花火大会ですれ違ったクラスメイトに一緒に回らないかと誘われますが、ろくに返事もしない瞳美に視線をやりながら、クラスメイトの一人が「やめときなよ」ばりに、誘ってくれたクラスメイトの裾をくいくいっとやることで、アンタッチャブルな存在(もしくは自分の色覚のことや母親が出ていったことの引っかかりがあってあえて孤立している)として扱われていることがわかります。

瞳美は流されやすい性格であるとか、自滅的だったり、諦めぐせがあったり

そもそももとの時代にも戻れなくてもどうでもいいと思ってるようなキャラなのかなと推測できます。ただし、これのせいで中盤以降の瞳美の『帰りたくない感』とのギャップが作れなくなっている点は惜しいかなという感想です。

が、そこまで気にすることもない感じですかね。

 

星砂入りビンを取り違える演出

これは本当にやっちゃいけないミスだと思います。

部活見学の日に写真美術部のお手伝いをする瞳美。プールの水の上にモデルをたたせ、写真を撮ってみよう!なんて、楽しそうなイベントじゃないですか。しかし部員の一人が先生に手伝いの呼び出しを食らい、人数が足りなくなり、モデルどうすんだって話に。そこで瞳美に白羽の矢がたつわけです。

司会役の胡桃含めて写真美術部は、瞳美が色が見えないことを知りません。

胡桃「さあモデルの子に入場してもらいましょう!」とオンマイクで呼び込みます。

日陰に居る瞳美は緊張の面持ち。そこで超短い回想。

胡桃は星砂のビンを手に持ち、指で指しながら、

胡桃「この水色の星砂を使ってね。ラベルが剥がれてるやつだよ!」

回想が終わり、トレーを見やる瞳美。

トレーには色とりどりの星砂が入ったビンが複数個・・・

瞳美「これ・・・だよね・・・?」ピンクの星砂を手に取る瞳美。

俺「は?」

は?です。

考えてみてくだい。部員たちは瞳美の色覚に関して知らないのでまあそこは良しとします。

ですが瞳美はもちろん自分の色覚を自覚しています。しかも目の前でその件の水色の星砂を手に持って指を指して説明しているんですよ?

その場でその星砂うけとれや!!!!

その超短い回想と、本番での瞳美の服装に違いがありませんので着替えてるときに胡桃がトレーに置いたとかいうわけでもありません。

しかも、参加者を募るために配ってるポスターにも、水の上を歩く的なことを書いているので、そもそもこの場に他の星砂は必要ないわけです。

さらに“アレ”なのが、その後部員とギクシャクするんです。そもそもその取り違えが起こること自体おかしいじゃんと思ってる俺は多少ポカーンとしました。何やってるんだろうこの人達・・・ってな感じです。

 

『こういうシーンがやりたい』というだけの発想で入れたシーンだと思います。つながりもなにもないのでチグハグになっていて、ついていけません。

 

時間魔法の練習がおかしい

17才の琥珀は、瞳美を未来に返すために時間魔法の練習をします。

枯れたバラを用意して、魔法をかけることで時間が戻り、潤いがもどって最終的にはつぼみにまでなってしまいます。

なるほどね。ん、いやおかしくないか?

これを瞳美にかけても若返るだけなのでは?

仮に百歩譲ってこの練習が正しいとします。この設定を書いた人の発想は多分、

『瞳美が2078年に居たときの時間まで瞳美の時間をもどせば、2018年に居るのはおかしくなるから自動的に2078年に戻るのでは?』的な発想だと思います。

だけどこれはこの作品自身の表現によって否定されています。

なぜなら、最終話で2078年に戻った瞳美は、2018年での出来事を覚えているからです。

バラと同じように、過ぎた時間を戻すということは、記憶や経験も戻ってないとおかしくないですか?

本来は、『未来へ飛ばす魔法』を練習するべきなんです。

私のこの意見に対しての反論で「時間魔法はステップが色々あって、この先どんどん色んな練習をしていくのでは?」という人がいるかも知れません。

しかし「私が間違っていたのか」と落胆する琥珀に対して、魔法書店の店員さんが「方法がわかってるならあとは魔力の問題だ」といいます。そして方法論を変えずに、皆で協力して星砂を集めるパートに入るので、『時間を戻せばいい』という発想は間違っていないという定義付けがされているということです。

これって時間を扱う作品としてやってはいけないんじゃないかなあと。

瞳美が2017年での経験を覚えたまま2078年に戻っているので、結局最終話で皆が使った魔法は『未来へ飛ばす魔法』なんです。

『時間を戻す魔法』を練習していたのに最終的に『時間を飛ばす魔法』を使ってるということになります。感動シーンっぽく扱われていましたが、私はおいてけぼりでした。

 

人を絵の中に入れる練習方法がおかしい

文化祭で、魔法で絵の中に人を入れて絵の中の世界を楽しんでもらうアクティビティーをやろうということになります。その魔法を琥珀に修行をつけてもらう瞳美。

修行内容は、『紙飛行機を絵の中に入れてちょうど3分後に戻ってくるようにする』というものです。3分というタイムリミットからわかるとおり、人を絵の中に入れるのだし、回転率のことも考えてきちんと魔法をコントロールして研ぎ澄ませるというのが目的ということです。

1回目のチャレンジではすぐに紙飛行機が戻ってきてしまう瞳美。それにたいして琥珀は「きちんと3分後に戻ってくるようにしないとだめだよ」的なことをいいます。

意気込んで2回目の挑戦に取り掛かる瞳美。しかしここで私がずっこける描写が入ります

琥珀は、瞳美が呪文を唱える前に砂時計をひっくり返します。

文化祭に参加した一般人を絵の中に入れるんですよ。先程述べたように回転率から考えての3分なのかもしれません。魔法がきれたら自動的に絵からでてくるとは説明がなされますが、わざわざ3分というリミットをつけて練習するということはそれくらい魔法の腕を磨く必要がある真剣な練習ですよ。

呪文唱えてから紙飛行機が絵の吸い込まれていって、その後砂時計をひっくり返すべきだと思います。だって呪文かけるときに3分後に戻ってこいとかけるわけですから。

 

主観の見せ方が微妙

色覚がないという世界はショッキングに描いてこそだと思うんですが

この作品では色付きで花火を見せてから、フェードでモノクロにしてしまうんですね。

これは好みの問題かもしれませんが、客観的な立場からのギャップでセンセーショナルにすることで、より瞳美に同情的になれるわけです。

モノクロになるということは瞳美が見ている世界ということです。なのに色付きでみせてからカットを変えずにそのままモノクロにしちゃうんです。比較映像みたいになっちゃってるんですよ。

 

夏野案

見上げるようなバックショットで瞳美を撮り、キレイな花火をみせる。このときはわざとらしいくらいキレイにえがいてもいいかもしれない。

(その後カットをかえてキレイな花火の光に照らされる瞳美の顔のアップをいれてもいより良いかも)

そして瞳美の主観になると、モノクロの世界になる。

これによって客観的な視点と主観的な視点が対比になってよりショッキング演出になると思います。

 

入れたいシーン先行の演出

これは星砂取り違え事件と本質的には似てますね。

部長の将くんの幼馴染のあさぎという女の子は、実家が写真スタジオ(だったっけな?)なんですが、そのスタジオで将くんがバイトしてたりして仲がいいんですよ。

で、あさぎちゃんのカメラが壊れたときに部室に駆け込んできて助けを求めるわけです。以下うろ覚えですが会話。

「うーん電源がつかないな。バッテリーは?」

あさぎ「充電したばっかりです」

「じゃあ基盤が壊れてるのかもな。おじさんにみてもらえ」

このシーンの意味がわかりますか?もちろん部長は悪くありません。基盤が壊れてたらその場で直すことも難しいですし、下手にいじると後戻りできない状況になりかねないからです。

が、その後琥珀が「私に任せろ」ばりに出てきて、練習中の時間魔法を使って直します。バラを若返らえる練習で使ってた時間魔法ですね。

が、その後直したはずのカメラがすぐに壊れてしまいます。魔法で若返らせたバラも同様です。

つまり、時間魔法を習得したと思いきや、実は一時的な効果しかなくて結果失敗になってしまうということを表現したいがために入れられたシーンです。バラとカメラを使ったのは、植物と人工物両方で同じ状況にすることで、たまたま失敗したわけではなくそもそも方法が間違っているのでは?と琥珀ちゃんを混乱させるための演出です。

先程述べたように結果的に方法論は間違っておらず、魔力が足りない云々でしたが。

 

他にも色々

写真を取るために魔法で野良猫を集める琥珀ですが、さんざん集めた結果抱きかかえたりしてパシャパシャ撮る部員たち。琥珀のキャラクターからいって、ネコに「ごめんね」なり「ありがとう」なり話しかけるシーンとか入れるべきだったのかな、と。それに対してネコがひと鳴きすれば『魔女よろしくネコと喋れるってかぁ?!』くらいのユニークさがでたかなーと。

まあネコと喋れる件は冗談として、若者たちがちゃんと動物たちを大事にするシーンが欲しかったです。これはキャラクターの見え方が変わってきてしまうので大事ですね。

 

琥珀は60年後から瞳美に未来のことを聞こうとするシーンがあるが

他の部員たちは後に瞳美が未来人だと知っても反応が薄い。

魔法ってそんなこともできるんだなー程度。

 

 

 

【結局どうなの】

良いところ気になったところ全部ひっくるめて結局面白かったのかよって話ですが

結果としてはまあまあよかった!くらいです。涙腺が緩くてすぐ泣いてしまう私ですが、この作品では気になる点のせいで泣けなかった感じがあります。点数やら星やらつけるほどの立場では無いのはわかってますが・・・。

 

青春モノやタイムスリップモノとして入れるべき点を入れてるのは良かったですが、やはり演出面や理屈的におかしい点が気になってのめりこめなかった感じです。

絵と音楽はキレイで良かったです。